韓智興 名前 韓智興【日本書紀】(かんちこう) 生年月日( ~ 斉明天皇5年12月3日) 没年月日(斉明天皇5年12月3日 ~ ) 出来事 倭種(やまとのうじ)日本人との混血児。韓智興・趙元宝は今年いつを指すか不明。に使人と共に帰った。 【日本書紀 巻第二十五 白雉五年二月条 伊吉博得言】 斉明天皇5年12月3日 韓智興の供人西漢大麻呂が唐で津守吉祥らを讒言した。 津守吉祥らは唐朝から流罪の判決を言い渡されたが、智興もまた三千里の流刑となり、津守吉祥らよりも先に執行される。 【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条 伊吉連博徳書曰】 智興の供人東漢草直足島に讒言されて使人らは寵命を受けられなかった。 使人らの怨みは上天の神に通り、足島は落雷で死んだ。 時の人は「大倭(やまと)の天の報いは早い」と称えた。 【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇七年五月丁巳条 伊吉連博得書云】