倭種(やまとのうじ)韓智興・趙元宝は今年に使人と共に帰った。
斉明天皇5年12月3日
韓智興の供人西漢大麻呂が唐で津守吉祥らを讒言した。
津守吉祥らは唐朝から流罪の判決を言い渡されたが、智興もまた三千里の流刑となり、津守吉祥らよりも先に執行される。
智興の供人東漢草直足島に讒言されて使人らは寵命を受けられなかった。 使人らの怨みは上天の神に通り、足島は落雷で死んだ。 時の人は「大倭(やまと)の天の報いは早い」と称えた。