都怒我阿羅斯等

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  • 都怒我阿羅斯等【日本書紀】(つぬがあらし, つがあらし)都怒我阿羅斯等
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キーワード
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出来事
  • ・・・
    • 御間城天皇崇神天皇の御世に、額に角を持つ人が、一つの船に乗って(こし)国の笥飯浦(けひのうら)に停泊した。それでそこを名付けて角鹿(つのが)という。
      「何処の国の人か」と尋ねると、答えて「意富加羅国(おおからのくに)王の子校異:王で、名は都怒我阿羅斯等。またの名を于斯岐阿利叱智于岐といいます。日本国(やまとのくに)に聖皇ありと伝え聞きやって参りました。穴門(あなと)に着いたときに、伊都都比古という人が私に『私はこの国の王である。私を除いて、また二王はいない。よって他の地には行くな』と言いました。しかし私はその人となりを見て、きっと王ではないと思い、出立しましたが、道を知らず、島浦を流浪しながら北海から廻って、出雲国を経てここに着きました」と。
      この時に天皇は崩御していた。そこで留まって活目天皇垂仁天皇に仕えて三年になった。
      天皇は都怒我阿羅斯等に「自分の国に帰りたいか」と尋ねた。答えて「それを望んでおります」と。
      天皇は阿羅斯等に詔して「お前が道に迷わず速やかに来ていれば、先皇にも会えたであろう。ここにお前の本国の名を改め、御間城天皇の御名をとって、お前の国の名にせよ」と。
      そして赤織の絹を阿羅斯等に賜り、本国に返した。その国を弥摩那国(みまなのくに)というのは、これがそのもとである。
      阿羅斯等は賜った赤絹を自国の郡府の蔵に納めたが、新羅(しらぎ)人がこれを聞いて兵を起し、その赤絹を全て奪った。
      これが二国の怨みの始まりである。

      【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二年是歳条 一云 第一】
    • 始め都怒我阿羅斯等が国にいた時、黄牛(あめうし)に農具を負わせて田舎に行った。
      ところが黄牛は突然いなくなった。それで足跡を追っていくと、ある群家の中に留まっていた。
      そこにいた老夫が言うには「あなたの求める牛は、この郡家の中に入りました。しかし郡公達は『牛の負った物から推測すれば、きっと殺して食うつもりだろう。もし牛の主がいたら物で償おう』と言うと、殺して食べました。もし『牛の代価は何がいいか』と問われましたら、財物は望まずに『郡内の祭神が欲しい』と言いなさい」と。
      しばらくして郡公達がやってきて、「牛の代価は何がいいか」と問われたので、老父の教えの通りにした。
      その祭神は白い石だった。それで白い石を牛の代わりとした。それを持ち帰って寝屋の中に置くと、その神石は美しい女となった。
      阿羅斯等は大いに喜び、交わろうとした。しかし阿羅斯等が少しのあいだ離れた隙に女は突然消えた。
      阿羅斯等は大いに驚き、「女よ、どこに消えたのだ」と言うと、「東の方に行きました」と答えた。
      それで追い求めて遠い海を越えて日本国に入った。
      追い求めた女は難波(なにわ)比売語曽社(ひめごそのやしろ)の神となった。または豊国(とよくに)国前郡(くにさきのこおり)で比売語曽社の神となった。そして二ヶ所に祭られたという。

      【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二年是歳条 一云 第二】
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