平群真鳥
- 名前
- 氏(ウジ):平群【日本書紀】(へぐり)
- 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ)
- 名:眞鳥【日本書紀】(まとり)真鳥
- 眞鳥大臣【日本書紀】(まとりのおおおみ, まとりのおほおみ)真鳥大臣
- 平群眞鳥大臣【日本書紀】(へぐりのまとりのおおおみ, へぐりのまとりのおほおみ)平群真鳥大臣
- 生年月日
- ( ~ 安康天皇3年11月13日)
- 没年月日
- 仁賢天皇11年11月11日
- 子
平群鮪 【日本書紀 巻第十六 武烈天皇即位前紀 仁賢天皇十一年八月条】【母:不明】
- 称号・栄典とても広〜い意味です。
大臣 【日本書紀 巻第十四 雄略天皇即位前紀 安康天皇三年十一月甲子条】
- 出来事
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安康天皇3年11月13日
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清寧天皇元年1月15日
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仁賢天皇11年8月
億計天皇仁賢天皇が崩じた。
大臣平群真鳥臣は国政を専らにして日本の王になろうとした。
太子小泊瀬稚鷦鷯尊後の武烈天皇。の為に宮を造る振りをして、出来上がると自ら住んだ。
事々に驕慢となり、臣としての節度が無かった。太子は物部麁鹿火大連の娘の影媛を召し上げたいと思い、媒人に命じて影媛の家に向わせて会うことを約束した。
影媛は既に真鳥大臣の子の鮪と通じていたので、太子との約束を違えてしまうことを恐れ、答えて言うには「私は海柘榴市 の巷でお待ち奉りたいと存じます」と。こうして太子は約束の場所に行こうとして近侍の舎人を遣わし、平群大臣の家に向わせて太子の命で
官馬 を用意するように求めた。
大臣はふざけて表向きには「官馬は誰の為に飼うものではございません。御命令に従います」と言ったが、久しく進上しなかった。
太子は心中恨んだが、忍んで顔には出さなかった。
【日本書紀 巻第十六 武烈天皇即位前紀 仁賢天皇十一年八月条】
太子は鮪が既に影媛と通じていることを知った。
父子の不敬の有様を知って顔を赤くして激怒した。
この夜、速やかに大伴金村連の家に向い、兵を集めて策を練った。
大伴連は数千の兵を率いて道を遮り、鮪臣を乃楽山 で殺した。
ある書では鮪は影媛の家に泊り、その夜に殺されたという。 -
仁賢天皇11年11月11日
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- 関連
- 弟:
額田早良宿禰 【紀氏家牒逸文】
- 弟: