犬養五十君

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名前
  • 氏(ウジ):犬養【日本書紀】(いぬかい, いぬか
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:五十君【日本書紀】(い
生年月日
( ~ 大化2年3月19日)
没年月日
(天武天皇元年7月7日 ~ )
出来事
  • 大化2年3月19日

    朝集使によって不正を報告されるが孝徳天皇により大赦される。

    【日本書紀 巻第二十五 大化二年三月辛巳条】
  • (天武天皇元年7月7日 ~ )

    近江の将犬養連五十君は中道奈良盆地を南北に貫く三つ(上中下)の道の内の一つ。大伴吹負は上中下にそれぞれ軍を駐屯させ、自らは中道に当っていた。を通って村屋(むらや)に留まり、別将廬井鯨に二百の精兵を率いさせて吉野方の将軍大伴吹負の陣営を襲わせた。
    大伴吹負の兵は少なく、防ぐことが出来なかった。
    しかし大井寺(おおいでら)(やっこ)ら五人が先鋒として進んで射かけてきた。の軍は進軍することが出来なかった。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月壬子条】