用明天皇2年4月2日
用明天皇がまさに臨終という時に鞍部多須奈が奏上して「臣は天皇の御為に出家して脩道致します。また丈六の仏像及び寺を造って奉じます」と。 天皇は悲しんで大声で泣いた。 南淵(みなぶち)の坂田寺(さかたでら)の木の丈六の仏像・挟侍(きょうじ)の菩薩がこれである。
崇峻天皇3年
出家した。名付けて徳斉法師という。