継体天皇が近江毛野臣を安羅に遣わした。
勅して新羅に勧めて、更に南加羅・喙己呑を建てた。
百済は将軍君尹貴・麻那甲背・麻鹵らを遣わし、安羅に行って詔勅を聴かせた。
新羅は隣国の官家を破ったことを恐れて高貴な人を遣わさずに夫智奈麻礼・奚奈麻礼らを遣わし、安羅に行って詔勅を聴かせた。
安羅は新たに高堂を建てて勅使を上らせた。国主は後に従って階を上った。国内の大臣で昇殿したのは一、二人だった。
百済の使い・将軍君らは堂下にあった。
数ヶ月間、再三堂上で謀議を行ったが、将軍君らは常に堂下にあることを恨んだ。
【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十三年三月是月条 第二】