名前
  • 麻那甲背【日本書紀】(まなこうはい, まなかふはい)
  • 城方甲背昧奴【日本書紀】(じょうほうこうはいまな, じやうはうかふはいまな)城方甲背昧奴
生年月日
( ~ 529年4月23日)
没年月日
(529年3月25日 ~ )
出来事
  • 529年(3月25日 ~ 4月23日)

    継体天皇近江毛野臣安羅(あら)に遣わした。
    勅して新羅に勧めて、更に南加羅(ありひしのから)喙己呑(とくことん)を建てた。

    百済は将軍君(いくさのきみ)尹貴・麻那甲背・麻鹵らを遣わし、安羅に行って詔勅を聴かせた。

    新羅は隣国の官家を破ったことを恐れて高貴な人を遣わさずに夫智奈麻礼奚奈麻礼らを遣わし、安羅に行って詔勅を聴かせた。

    安羅は新たに高堂を建てて勅使を上らせた。国主は後に従って階を上った。国内の大臣で昇殿したのは一、二人だった。
    百済の使い・将軍君らは堂下にあった。
    数ヶ月間、再三堂上で謀議を行ったが、将軍君らは常に堂下にあることを恨んだ。

    【日本書紀 巻第十七 継体天皇二十三年三月是月条 第二】
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