544年(3月10日 ~ 4月7日)
百済の使者として施徳馬武・施徳高分屋らと共に、日本府の卿・任那の旱岐らに任那復興を催促する。
545年(5月27日 ~ 6月24日)
百済王の命令で奈率其㥄・奈率用奇多らと共に派遣されて欽明天皇に上表する。
553年2月10日
百済が上部(じょうほう)徳率科野次酒・杆率礼塞敦らを遣わして援軍を乞う。
554年2月26日
百済が中部(ちゅうほう)木刕施徳文次・前部(ぜんほう)施徳曰佐分屋らを筑紫に遣わして、内臣・佐伯連らに言うには「徳率次酒・杆率塞敦らが去年の閏月の四日に参りましたときに『臣らは来年の正月に行くであろう』と仰りましたが確かではありません。お越しになるのでしょうか。また軍の数はどれ程でしょうか。少しでも話を聞いて予め陣営を設置したいと思っております」と。