斯那奴次酒 名前 斯那奴次酒【日本書紀】(しなのししゅ) 科野次酒【日本書紀】(しなのししゅ) 次酒【日本書紀】(ししゅ) 生年月日( ~ 544年4月7日) 没年月日(553年2月10日 ~ ) 称号・栄典とても広〜い意味です。施徳(せとく)【日本書紀 巻第十九 欽明天皇五年二月条】徳率(とくそつ)【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十四年正月乙亥条】 出来事 544年(3月10日 ~ 4月7日) 百済の使者として施徳馬武・施徳高分屋らと共に、日本府の卿・任那の旱岐らに任那復興を催促する。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇五年二月条】 545年(5月27日 ~ 6月24日) 百済王の命令で奈率其㥄・奈率用奇多らと共に派遣されて欽明天皇に上表する。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇六年五月条】 553年2月10日 百済が上部(じょうほう)徳率科野次酒・杆率礼塞敦らを遣わして援軍を乞う。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十四年正月乙亥条】 554年2月26日 百済が中部(ちゅうほう)木刕施徳文次・前部(ぜんほう)施徳曰佐分屋らを筑紫に遣わして、内臣・佐伯連らに言うには「徳率次酒・杆率塞敦らが去年の閏月の四日に参りましたときに『臣「臣らとは内臣をいう」とある。らは来年の正月に行くであろう』と仰りましたが確かではありません。お越しになるのでしょうか。また軍の数はどれ程でしょうか。少しでも話を聞いて予め陣営を設置したいと思っております」と。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十五年正月丙申条】