曰佐分屋
- 名前
- 曰佐分屋【日本書紀】(おさぶんおく, をさぶんをく)
- 日佐分屋校異【日本書紀】
- 生年月日
- ( ~ 554年2月26日)
- 没年月日
- (554年2月26日 ~ )
- 称号・栄典とても広〜い意味です。
施徳 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十五年正月丙申条】
- 出来事
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554年2月26日
百済が
中部 木刕施徳文次・前部 施徳曰佐分屋らを筑紫に遣わして、内臣・佐伯連らに言うには「徳率次酒・杆率塞敦らが去年の閏月の四日に参りましたときに『臣「臣らとは内臣をいう」とある。らは来年の正月に行くであろう』と仰りましたが確かではありません。お越しになるのでしょうか。また軍の数はどれ程でしょうか。少しでも話を聞いて予め陣営を設置したいと思っております」と。また別に言うには「畏き天皇の詔を承り、筑紫に詣でて賜る軍を見送ることの喜びは他と比べようがございません。今年の役は以前より甚だ危険でございますので、どうか軍の派遣は正月に間に合うようにお願い申し上げます」と。
内臣は勅を承って「すぐに援軍の数一千・馬一百疋・船四十隻を遣わす」と返答した。
【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十五年正月丙申条】
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