千熊長彦

名前
  • 千熊長彥【日本書紀】(ちくまなが)千熊長彦
  • 職麻那那加比跪『千熊長彦は素性が分からず、その姓も知らず。あるいは武蔵国の人で、今の額田部(ぬかたべ)槻本首(つきもとのおびと)らの始祖という。百済記に云う、職麻那那加比跪という者はこれであろうか』とある。【日本書紀】(ちくまななかひこ)
  • 職麻那那加比宿跪校異【日本書紀】
キーワード
  • 額田部槻本首(ぬかたべのつきもとのおびと)等之始祖【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政四十七年四月条 一云】
生年月日
( ~ 神功皇后摂政47年4月29日)
没年月日
(神功皇后摂政52年9月10日 ~ )
出来事
  • 神功皇后摂政47年4月

    神功皇后の命令で、新羅が百済の献上物を乱したことを責める。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政四十七年四月条】
  • 神功皇后摂政49年3月

    千熊長彦と百済王肖古は、百済国の辟支山(へきのむれ)に登って(ちか)った。
    また古沙山(こさのむれ)に登って、共に岩の上に居た。
    時に百済王が盟って「もし草を敷いて坐れば、火に焼かれるかもしれない。木を取って坐れば、水に流されるかもしれない。岩の上で盟うことは、永遠に朽ちないということを示す。今後は千秋万歳に絶えることもなく、窮まることもないだろう。常に西蕃と称して春秋には朝貢しよう」と。
    そして千熊長彦を連れて都に帰り、厚く礼遇した。
    また久氐らを副えて送った。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政四十九年三月条】
  • 神功皇后摂政50年5月

    久氐らと共に百済から帰還する。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政五十年五月条】
  • 神功皇后摂政51年3月

    久氐らを百済国に送り届ける使者となる。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政五十一年三月条】
  • 神功皇后摂政52年9月10日

    久氐らと共に百済から帰還する。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政五十二年九月丙子条】