神功皇后摂政47年4月
神功皇后の命令で、新羅が百済の献上物を乱したことを責める。
神功皇后摂政49年3月
千熊長彦と百済王肖古は、百済国の辟支山(へきのむれ)に登って盟(ちか)った。 また古沙山(こさのむれ)に登って、共に岩の上に居た。 時に百済王が盟って「もし草を敷いて坐れば、火に焼かれるかもしれない。木を取って坐れば、水に流されるかもしれない。岩の上で盟うことは、永遠に朽ちないということを示す。今後は千秋万歳に絶えることもなく、窮まることもないだろう。常に西蕃と称して春秋には朝貢しよう」と。 そして千熊長彦を連れて都に帰り、厚く礼遇した。 また久氐らを副えて送った。
神功皇后摂政50年5月
久氐らと共に百済から帰還する。
神功皇后摂政51年3月
久氐らを百済国に送り届ける使者となる。
神功皇后摂政52年9月10日