百衝
- 名前
- 百衝【日本書紀】(ももつき)
- 生年月日
- ( ~ 365年7月4日)
- 没年月日
- (365年6月5日 ~ )
- 出来事
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365年(6月5日 ~ 7月4日)
仁徳天皇は竹葉瀬とその弟の田道を遣わして「もし新羅が抵抗したら、兵を挙げて討て」と詔して精兵を授けた。
新羅は兵を起こして防いだ。新羅人は毎日戦いを挑んだ。
田道は守りを固くしてそこから出なかった。時に新羅の軍卒一人が陣営の外に出たので捕えた。
そして様子を尋ねると、「力の強い人がいて、百衝といいます。身軽で速く、勇猛です。つねに軍の右前鋒にいるので、左を攻めれば敗れるでしょう」と答えた。時に新羅は左を空けて右に備えた。
【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇五十三年五月条】
田道は精鋭の騎馬を連ねて、その左を攻めると新羅軍は潰走した。
勢いに乗じて攻め、数百人を殺した。
そして四つの邑の人民を捕虜として帰還した。
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