塩垂津彦命
- 名前
- 鹽垂津彥命【新撰姓氏録抄】(しおたりつひこのみこと, しほたりつひこのみこと)塩垂津彦命
- 垣垂津彥命校異【新撰姓氏録抄】(かきたりつひこのみこと)垣垂津彦命
- 鹽乗津彥命校異【新撰姓氏録抄】(しおのりつひこのみこと, しほのりつひこのみこと)塩乗津彦命
- 生年月日
- ( ~ 崇神天皇68年12月5日)
- 没年月日
- (崇神天皇元年1月13日 ~ )
- 出来事
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(崇神天皇元年1月13日 ~ 崇神天皇68年12月5日)
昔、磯城瑞籬宮御宇御間城入彦天皇の御代、任那国が奏上して「我が国の東北に三つの巴汶の地「上巴汶・中巴汶・下巴汶」とある。巴汶は己汶の誤りか。があります。広さは三百里で、土地・人民が富饒のために新羅国と相争い、どちらも治めることが難しくなりました。争いは続いて民はまともに生活が出来ません。将軍に命じてこの地を治められれば、貴国の
【新撰姓氏録抄 第一帙 第三巻 左京皇別下 吉田連条】部 となりましょう」と。
天皇は大いに喜び、群卿に勅して遣すべき人を奏上させた。
卿らが奏上して「彦国葺命の孫の塩垂津彦命は頭上に贅 こぶ・いぼの古名。があり、三つ枝の松の樹のようです。それで名付けて松樹君 と申します。その背丈は五尺で、力は衆人に過ぎ、人となりは勇悍です」と。
天皇は塩垂津彦命を遣わし、勅して鎮守させた。
そこでは宰の俗称が吉だったので、その苗裔の姓は吉氏 となった。
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