坂合部磐鍬

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名前
  • 氏(ウジ):坂合部【日本書紀】(さかいべ, さか
  • 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
  • 名:磐鍬【日本書紀】(いわすき, いはす
  • 名:石布【日本書紀】(いわしき, いはし
生年月日
( ~ 斉明天皇2年9月30日)
没年月日
斉明天皇5年9月15日
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 小錦下しょうきんげ制定前に死亡しているので贈位と思われる。【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条】
出来事
  • 斉明天皇2年9月

    斉明天皇の命令で副使として高麗に遣わされる。大使は膳臣葉積

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇二年九月条】
  • 斉明天皇5年7月3日

    小錦下坂合部石布連・大山下津守吉祥連らの二船が呉・唐の路に遣わされた。
    己未年七月三日に難波の三津の浦から船出した。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条 伊吉連博徳書曰】
    • 斉明天皇5年7月3日

      津守吉祥と共に唐国に遣わされる。

      【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条】
  • 斉明天皇5年8月11日

    八月十一日に筑紫の六津の浦を出た。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条 伊吉連博徳書曰】
  • 斉明天皇5年9月13日

    九月十三日に百済の南の辺の島に着いた。島の名は不明である。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条 伊吉連博徳書曰】
  • 斉明天皇5年9月14日

    十四日の寅時午前3時から5時までの2時間。に二船は相従って大海に出た。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条 伊吉連博徳書曰】
  • 斉明天皇5年9月15日

    十五日の日没に石布連の船は横から逆風に遭って南の海の島に漂着した。島の名は爾加委(にかい)という。そして島人に殺された。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条 伊吉連博徳書曰】
    • 大唐に向った大使は島に触れて転覆した。

      【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇五年七月戊寅条 難波吉士男人書曰】