(294年2月12日 ~ 295年2月1日)
百済(くだら)の直支王が薨じ、その子の久爾辛が立って王となった。 王は年が若かったので、木満致が国政を執ったが、王の母と通じて無礼が多かった。 応神天皇はこれを聞いて召した。
木満致は、木羅斤資が新羅(しらき)を討つ時に、その国の女を娶って生まれた。 その父の功で任那(みまな)を専らにした。 我が国に入ってきて、貴国と往来した。天朝から職制を承り、我が国の政を執った。権勢は盛んだった。天朝はその暴挙を聞いて召した。