境部雄摩侶

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名前
  • 氏(ウジ):境部【日本書紀】(さかいべ, さか
  • 姓(カバネ):臣【日本書紀】(お
  • 名:雄摩侶【日本書紀】(おまろ, をま
生年月日
( ~ 推古天皇30年11月30日)
没年月日
(推古天皇30年1月1日 ~ )
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 大徳だいとく【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十一年是歳条】
出来事
  • 推古天皇30年当サイトでは日本書紀の推古天皇31年、32年、33年の記事を、それぞれ1年ずつ繰り下げた年の出来事としてます。

    任那を附属させた新羅を征伐する大将軍として出兵する。

    これより先に派遣されていた詰問の使者は「軍を起こせば前の約束に背いてしまう。こうなっては任那の事を成すことは出来ない」と言うと、出航して帰国した。

    ただ将軍らは任那に至り、相談して新羅を襲撃しようとした。
    新羅国主は軍勢が多いと聞いて降伏を願い出た。
    将軍らは共に議って上表した。天皇はこれを許した。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十一年是歳条】
  • 推古天皇30年11月当サイトでは日本書紀の推古天皇31年、32年、33年の記事を、それぞれ1年ずつ繰り下げた年の出来事としてます。

    詰問の使者が新羅から帰国する。

    大臣がその状況を尋ねると、「新羅は命を承り恐懼しておりました。そして専使に命じて両国の調を奉りました。しかし船軍が来るのを見て朝貢の使者はまた帰還してしまいました。ただ調は献上します」と答えた。
    大臣は「惜しいことをした。早く軍勢を遣わしたことは」と言った。

    時の人が言うには「この軍事は境部臣と阿曇連が先に新羅の賄賂を多く受け取った為、大臣に勧めたのだ。それで使いの旨を待たずに征伐を急いだのだ」と。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十一年十一月条】