欽明天皇15年12月
百済の余昌は新羅軍に囲まれて脱出できなかった。兵は慌てて成す術を知らなかった。 弓の名人に筑紫国造という者がいた。進み出て弓を引き、狙いを定め、新羅の騎卒で最も勇壮な者を射落とした。 発した矢の鋭いことは、鞍の前後の橋(くらぼね)を射抜いて甲(よろい)の襟に及んだ。 また続けて発した矢は雨の如く激しさを増して止まらず、包囲していた軍は退却した。
これにより余昌及び諸将らは間道より逃げ帰ることが出来た。 余昌は国造の射撃で包囲軍を退却させたことを讃え、尊んで鞍橋君と名付けた。