鞍橋君 名前 鞍橋君【日本書紀】(くらじのきみ鞍橋。此云矩羅賦。) 生年月日( ~ 欽明天皇15年12月29日) 没年月日(欽明天皇15年12月1日 ~ ) 称号・栄典とても広〜い意味です。筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十五年十二月条】 出来事 欽明天皇15年12月 百済の余昌は新羅軍に囲まれて脱出できなかった。兵は慌てて成す術を知らなかった。 弓の名人に筑紫国造という者がいた。進み出て弓を引き、狙いを定め、新羅の騎卒で最も勇壮な者を射落とした。 発した矢の鋭いことは、鞍の前後の橋(くらぼね)を射抜いて甲(よろい)の襟に及んだ。 また続けて発した矢は雨の如く激しさを増して止まらず、包囲していた軍は退却した。 これにより余昌及び諸将らは間道より逃げ帰ることが出来た。 余昌は国造の射撃で包囲軍を退却させたことを讃え、尊んで鞍橋君と名付けた。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十五年十二月条】