宮主宅媛
- 名前
- 宮主宅媛【日本書紀】(みやぬしやかひめ)
- 宮主矢河枝比賣【古事記】(みやぬしやかわえひめ, みやぬしやかは𛀁ひめ)宮主矢河枝比売
- 宮主矢阿枝比賣校異【古事記】宮主矢阿枝比売
- 矢河枝比賣【古事記】(やかわえひめ, やかは𛀁ひめ)矢河枝比売
- 性別
- 女性
- 生年月日
- ( ~ 応神天皇2年4月3日)
- 没年月日
- (応神天皇2年4月3日 ~ )
- 父
日触使主 【日本書紀 巻第十 応神天皇二年三月壬子条】
- 先祖
-
- 日触使主
- unknown
- 配偶者
応神天皇 【日本書紀 巻第十 応神天皇二年三月壬子条】
- 子
- 出来事
-
( ~ 応神天皇2年4月3日)日本書紀では三月庚戌朔壬子。先代旧事本紀では四月庚戌朔壬子。暦の流れに合う四月を採用。【先代旧事本紀 巻第八 神皇本紀 応神天皇二年四月壬子条】
応神天皇の妃となる。
【日本書紀 巻第十 応神天皇二年三月壬子条】-
ある時、天皇が
近淡海国 近江に越えて行幸する時に、宇遅野 のあたりに立ち、葛野 を望んで歌を詠んだ。「
知 婆 能 加 豆 怒 袁 美 禮 婆 毛 毛 知 陀 流 夜 邇 波 母 美 由 久 爾 能 富 母 美 由 」
それで木幡村 に着いたとき、美しい少女にその辻で出会った。
そして天皇がその少女に「お前は誰の子か」と問うと、「丸邇之比布礼能意富美の女 で、名を宮主矢河枝比売と申します」と答えた。天皇はその少女に「私は明日帰るときに、お前の家に立ち寄ろうと思う」と言った。それで矢河枝比売は、このことを詳しく父に話した。
この父は「その方は天皇でいらっしゃる。恐れ多いことだ。我が子よ。お仕え申し上げなさい」と言って、その家を厳かに飾って待った。
翌日行幸した。
それで食事を差し出すときに、女の矢河枝比売に酒盞 を持たせて酒を献上させた。
天皇はその大酒盞を持たせたままで歌を詠んだ。「
許 能 迦 邇 夜 伊 豆 久 能 迦 邇 毛 毛 豆 多 布 都 奴 賀 能 迦 邇 余 許 佐 良 布 伊 豆 久 邇 伊 多 流 伊 知 遲 志 麻 美 志 麻 邇 斗 岐 美 本 杼 理 能 迦 豆 伎 伊 岐 豆 岐 志 那 陀 由 布 佐 佐 那 美 遲 袁 須 久 須 久 登 和 賀 伊 麻 勢 婆 夜 許 波 多 能 美 知 邇 阿 波 志 斯 袁 登 賣 宇 斯 呂 傳 波 袁 陀 弖 呂 迦 母 波 那 美 波 志 比 比 斯 那 須 伊 知 韋 能 校異:波那美波志比斯那須伊知比韋能和 邇 佐 能 邇 袁 波 都 邇 波 波 陀 阿 可 良 氣 美 志 波 邇 波 邇 具 漏 岐 由 惠 美 都 具 理 能 曾 能 那 迦 都 爾 袁 加 夫 都 久 麻 肥 邇 波 阿 弖 受 麻 用 賀 岐 許 邇 加 岐 多 禮 阿 波 志 斯 袁 美 那 迦 母 賀 登 和 賀 美 斯 古 良 迦 久 母 賀 登 阿 賀 美 斯 古 邇 宇 多 氣 陀 邇 牟 迦 比 袁 流 迦 母 伊 蘇 比 袁 流 迦 母 」こうして結婚して生まれた御子が宇遅能和紀郎子である。
【古事記 中巻 応神天皇段】
-
-
応神天皇40年1月24日
菟道稚郎子が日嗣の御子となる。
【日本書紀 巻第十 応神天皇四十年正月甲子条】
-
- 関連