熊鰐

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名前
  • 熊鰐【日本書紀】(わに, くまわに)
キーワード
  • 岡県主(おかのあがたぬし)【日本書紀 巻第八 仲哀天皇八年正月壬午条】
生年月日
( ~ 仲哀天皇8年1月4日)
没年月日
(仲哀天皇8年1月4日 ~ )
出来事
  • 仲哀天皇8年1月4日

    熊鰐は、天皇が来ると聞いて、予め五百枝(いおえ)賢木(さかき)を根こぎにして、九尋船(ここのひろのふね)の舳に立て、上枝には白銅鏡(ますみのかがみ)をかけ、中枝には十握剣(とつかのつるぎ)をかけ、下枝には八尺瓊(やさかに)をかけた。
    そして周芳(すわ)沙麼(さば)の浦に迎えて、魚塩(なしお)の地御料の魚や塩をとる区域。を献上して言うには「穴門(あなと)から向津野大済(むかつののおおわたり)に至るまでを東門とし、名籠屋大済(なごやのおおわたり)までを西門とし、限没利島(もとりしま)阿閉島(あへのしま)を限って御筥(みはこ)とし、柴島(しばしま)を割いて御甂(みなべ)鍋のこと。御甂。此云彌那陪。とし、逆見(さかみ)の海を塩地とします」と。そして海路を導いた。

    山鹿岬(やまかのさき)から廻って岡浦(おかのうら)に入った。
    水門(みなと)に着くと御船は進まなくなった。
    そこで熊鰐に「聞くところによると、お前は清い心で参ったのに、なぜ船は進まないのか」と問うた。
    熊鰐が言うには「御船が進まないのは私の罪では御座いません。この浦のほとりに男女の二神がおります。男神を大倉主といいます。女神を菟夫羅媛といいます。きっとこの神の御心でしょう」と。
    天皇は祈祷して、舵取りの倭国(やまとのくに)菟田(うだ)の人、伊賀彦(はふり)として祭らせた。すると船は進んだ。

    皇后は別の船で洞海(くきのうみ)洞。此云久岐。から入ったが、潮が引いて進めなかった。
    時に熊鰐はまた返って洞海から皇后を迎えた。
    そして進まない御船を見て恐れ畏まり、すぐに魚沼(うおいけ)鳥池(とりいけ)を造って、魚や鳥を集めた。
    皇后は魚や鳥を見ると怒りの心もようやく解け、潮が満ちると岡津(おかのつ)に泊まった。

    【日本書紀 巻第八 仲哀天皇八年正月壬午条】