取石鹿文
- 名前
- 取石鹿文【日本書紀】(とりしかや)
- 川上梟帥【日本書紀】(かわかみのたける, かはかみのたける)
- 没年月日
- 景行天皇27年12月
- 出来事
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景行天皇27年12月
熊襲に
【日本書紀 巻第七 景行天皇二十七年十二月条】魁帥 という者がいた。名は取石鹿文。または川上梟帥という。親族を集めて宴を挙げようとしていた。
日本武尊は髪を解いて童女の姿となり、密かに川上梟帥の宴の時を伺った。
そして剣を衣服の中に隠して、川上梟帥の宴の室に入って女人の中に混じった。
川上梟帥はその童女の容姿を愛でて、手を携えて同席させた。そして盃を挙げて飲ませ、戯れ弄んだ。
時に夜が更けて人もまばらになった。川上梟帥は酒に酔っていた。
日本武尊は剣を取り出して川上梟帥の胸を刺した。
死の直前に川上梟帥が叩頭して「待ってくれ。言いたいことがある」と言った。日本武尊は剣を留めて待った。
川上梟帥は「お前は誰なんだ」と言った。答えて「私は大足彦天皇景行天皇の子で、名は日本童男という」と。
川上梟帥は「私はこの国で力を持っています。人々は私の威力に勝てず、従わない者はおりません。私は多くの武人に会いましたが、皇子ほどの者はおりませんでした。卑しき者の口からですが尊号を奉りたいと思います。お許し頂けますか」と。これを許した。
また言うには「今後は日本武皇子と称して頂きたい」と。言い終わると胸を刺して殺した。
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