(653年2月3日 ~ 654年1月23日)
難波長柄豐前朝(なにわのながらのとよさきのみかど)に至り、白鳳四年、小花下諱部首作斯を祠官頭(かんづかさのかみ)に拝して、王族・宮内の礼儀・婚姻・卜筮を掌らせた。 夏・冬の二つの季節の御卜の式はこの時に初めて起る。 作斯の胤裔はその職を継がず、次第に衰えて今に至る。