名前
  • 氏(ウジ):吉備海部【日本書紀】あま)吉備海部
  • 姓(カバネ):直【日本書紀】(あたい, あた
  • 名:難波【日本書紀】(なにわ, なには)難波
生年月日
( ~ 敏達天皇2年5月3日)
没年月日
(敏達天皇3年7月20日 ~ )
出来事
  • 敏達天皇2年5月3日

    高麗の使人が(こし)の海岸に泊った。船が壊れて溺死する者が多かった。
    朝廷は頻りに路に迷うことを疑って、饗応せずに帰国させることにした。
    それで吉備海部直難波に勅して高麗の使いを送らせた。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇二年五月戊辰条】
  • 敏達天皇2年7月1日

    越の海岸にて難波と高麗の使いらが相談して、送使(おくるつかい)難波の船人大島首磐日狭丘首間狭を高麗の使いの船に乗せて、高麗の二人を送使の船に乗せた。
    このように互い違いに船に乗らせて奸計に備えた。
    共に船を出発させて数里が過ぎたところで、逆使難波は波を恐れ、高麗の二人を捕えて海に投げ入れた。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇二年七月乙丑朔条】
  • 敏達天皇2年8月14日

    送使難波が帰還して「海の中に大きい鯨がいて、船と櫂を待ち受けて嚙みました。難波らは鯨が船を呑みこむことを恐れて、海に入ることも出来ませんでした」と報告した。
    天皇はその偽りを知り、雑用に使役させて帰さなかった。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇二年八月丁未条】
  • 敏達天皇3年5月5日

    高麗の使人が越の海岸に泊る。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇三年五月甲子条】
  • 敏達天皇3年7月20日

    高麗の使人が入京して奏上するには「臣らは去年、送使に同行して帰国しました。先に臣らが国に着きました。臣は使人の礼に准えて大島首磐日らを礼遇しました。高麗国王も別に厚く礼を尽くしました。しかし送使の船は今になっても到着しません。それでまた謹しんで使人を磐日と共に遣わして、送使が来ないわけをお尋ねしたいと思います」と。
    天皇はすぐに難波の罪を責めて「朝廷を欺いたことが一つ。隣国の使者を溺れ殺したことが二つ。この大罪を以って帰還することを許さない」と言って断罪した。

    【日本書紀 巻第二十 敏達天皇三年七月戊寅条】