速待 名前 速待【日本書紀】(はやまち) キーワード播磨国造祖【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇十六年七月戊寅朔条】 性別男性 生年月日( ~ 仁徳天皇16年7月1日) 没年月日(仁徳天皇16年7月2日 ~ ) 出来事 仁徳天皇16年7月1日 仁徳天皇が宮人の桑田玖賀媛を近習の舎人らに見せて言うには「朕はこの女を可愛がりたいと思うが、皇后の嫉妬が強く、召すことが出来ずに多くの年月が過ぎた。このまま盛年を過ぎてしまうのか」と。 そして歌で問うた。 「瀰(み)儺(な)曾(そ)虛(こ)赴(ふ) 於(お)瀰(み)能(の)烏(を)苔(と)咩(め)烏(を) 多(た)例(れ)揶(や)始(し)儺(な)播(は)務(む)」 すると速待が一人進み出て歌った。 「瀰(み)箇(か)始(し)報(ほ) 破(は)利(り)摩(ま)波(は)揶(や)摩(ま)智(ち) 以(い)播(は)區(く)娜(だ)輸(す) 伽(か)之(し)古(こ)倶(く)等(と)望(も) 阿(あ)例(れ)揶(や)始(し)儺(な)破(は)務(む)」 その日に玖賀媛を速待に賜った。 【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇十六年七月戊寅朔条】 (仁徳天皇16年7月2日 ~ ) 夕方、速待は玖賀媛の家に行った。しかし玖賀媛が好意を持つことはなかった。 強引に寝床に近づくと、玖賀媛は「私は寡婦のまま終えたいと思います。どうして君の妻となりましょうか」と言った。 天皇は速待の志を遂げさせたいと思い、玖賀媛を速待に副えて桑田(くわた)に送り遣わした。 しかし玖賀媛は道中で発病して死んでしまった。 それで今でも玖賀媛の墓がある。 【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇十六年七月戊寅朔明日条】 関連播磨国造(はりまのくにのみやつこ)【日本書紀 巻第十一 仁徳天皇十六年七月戊寅朔条】