恵日

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名前
  • 惠日【日本書紀】(えにち, ゑにち)恵日
  • 藥師惠日【日本書紀】(くすしえにち, くすしゑにち)薬師恵日
生年月日
( ~ 推古天皇30年7月30日)
没年月日
(白雉5年2月1日 ~ )
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 大仁だいにん【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇二年八月丁酉条】
  • 大山下だいせんげ【日本書紀 巻第二十五 白雉五年二月条】
出来事
  • 推古天皇30年7月当サイトでは日本書紀の推古天皇31年、32年、33年の記事を、それぞれ1年ずつ繰り下げた年の出来事としてます。32年、33年の記事にある朔日の干支の不合理修正を優先させました。これにより日干支はしっくりします。31年の記事は、文脈上32年の記事に合わせた修正です。

    恵斉恵光福因らと共に隋から帰国する。

    恵日らは共に奏上して「隋の留学生は皆学んで業を成しました。召喚するべきでしょう。またその大唐国は法式が完備された立派な国です。常に交流するべきです」と。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十一年七月条】
  • 舒明天皇2年8月5日

    犬上三田耜と共に大唐に派遣される。

    【日本書紀 巻第二十三 舒明天皇二年八月丁酉条】
  • 白雉5年2月

    副使として遣唐船に乗る。押使(すべつかい)高向史玄理、大使は河辺臣麻呂

    漂うこと数ヶ月、新羅道を辿って莱州(らいしゅう)に着いた。

    【日本書紀 巻第二十五 白雉五年二月条】