天湯河板挙
- 名前
- 天湯河板擧【日本書紀】(あめのゆかわたな, あめのゆかはたな, あまのゆかわたな, あまのゆかはたな板擧。此云拕儺。)天湯河板挙
- 湯河板擧【日本書紀】(ゆかわたな, ゆかはたな)湯河板挙
- 氏(ウジ):鳥取【日本書紀】(ととり)
- 姓(カバネ):造【日本書紀】(みやつこ)
- 天湯河桁命【新撰姓氏録抄】(あめのゆかわたなのみこと, あめのゆかはたなのみこと, あまのゆかわたなのみこと, あまのゆかはたなのみこと)
- 天湯河桁【新撰姓氏録抄】(あめのゆかわたな, あめのゆかはたな, あまのゆかわたな, あまのゆかはたな)
- 氏(ウジ):鳥取【新撰姓氏録抄】(ととり)
- 連【新撰姓氏録抄】(むらじ)連
- 天湯河板擧命【新撰姓氏録抄】(あめのゆかわたなのみこと, あめのゆかはたなのみこと, あまのゆかわたなのみこと, あまのゆかはたなのみこと)天湯河板挙命
- 天湯川田奈命【新撰姓氏録抄】(あめのゆかわたなのみこと, あめのゆかはたなのみこと, あまのゆかわたなのみこと, あまのゆかはたなのみこと)
- キーワード
鳥取造 祖【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十三年十月壬申条】- 後裔は右京
鳥取連 ・山城国鳥取連・河内国美努連 校異:美奴連・河内国鳥取 ・和泉国鳥取【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
- 生年月日
- ( ~ 垂仁天皇23年10月8日)
- 没年月日
- (垂仁天皇23年11月2日 ~ )
- 出来事
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垂仁天皇23年10月8日
天皇は大殿の前に立ち、誉津別皇子は側にいた。
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十三年十月壬申条】
時に鵠 白鳥が大空を飛んだ。
皇子は鵠を仰ぎ見て「あれは何者か」と言った。
天皇は皇子が鵠を見て言葉を発したことを喜んだ。そして側の者に詔して「誰かあの鳥を捕えよ」と言った。
天湯河板挙が「私が必ず捕えてご覧に入れましょう」と言った。
天皇は湯河板挙に勅して「お前があの鳥を献上すれば、必ず褒美を与えよう」と言った。
湯河板挙は鵠が飛んでいった方に追って出雲で捕獲した。あるいは但馬国で捕えたという。-
【新撰姓氏録抄 第二帙 第十四巻 右京神別上 天神 鳥取連条】出雲国 の宇夜江 で捕えて献上した。
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垂仁天皇23年11月2日
湯河板挙が鵠を献上した。
【日本書紀 巻第六 垂仁天皇二十三年十一月乙未条】
誉津別命は鵠を弄び、遂に喋れるようになった。
そこで湯河板挙を厚く賞し、鳥取造 の姓を賜った。
そしてまた鳥取部 ・鳥養部 ・誉津部 を定めた。-
【新撰姓氏録抄 第二帙 第十四巻 右京神別上 天神 鳥取連条】鳥取連 の姓を賜った。
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