山辺之大鶙

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名前
  • 山辺之大鶙【古事記】(やまのえのおおたか, やまおほたか)
出来事
  • 垂仁天皇が尾張の相津(あいづ)にある二股の杉で二股の小舟を作って持ち運び、(やまと)市師池(いちしのいけ)軽池(かるのいけ)に浮かべて、その御子と一緒に遊んだ。
    この御子は(あごひげ)が胸元に届くようになっても物を言わなかったが、空高く飛ぶ(くぐい)の音を聞いて、はじめて物を言おうとした。
    そこで山辺之大鶙を遣わして、その鳥を捕まえさせた。
    この人はその鵠を追って木国(きのくに)から針間国(はりまのくに)に至り、また追って稲羽国(いなばのくに)を越え、旦波国(たにわのくに)多遅麻国(たじまのくに)に至り、東の方に追い廻って近淡海国(ちかつおうみのくに)に至り、三野国(みののくに)を越え、尾張国(おわりのくに)を伝って科野国(しなののくに)に追い、遂に高志国(こしのくに)に追い至り、和那美(わなみ)の水門に網を張り、その鳥を捕まえて献上した。それでその水門を名付けて和那美の水門という。
    またその鳥を見れば物を言うと思っていたが、物を言うことは無かった。

    【古事記 中巻 垂仁天皇段】
関連
  • 天湯河板挙あめのゆかわたな日本書紀では、鵠を捕まえるのは天湯河板挙。