- 名前
- 氏(ウジ):能登【日本書紀】(のと)
- 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ)
- 名:馬身龍【日本書紀】(うまむたつ)馬身竜
- 没年月日
- 斉明天皇6年3月
- 出来事
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斉明天皇6年3月
斉明天皇が阿倍臣を遣わして船軍二百艘を率いて粛慎国を討たせた。
阿倍臣は陸奥の蝦夷を自分の船に乗せて大河の側まで来た。
渡島 の蝦夷一千余が海のほとりに集まり、河に向って屯営していた。営の中の二人が進み出て急に叫んで「粛慎の船が多くやってきて我らを殺そうとしています。どうか河を渡って仕官させて下さい」と言った。
阿倍臣は船を遣わして二つの蝦夷を呼び、賊の隠れ家とその船の数を尋ねた。
二つの蝦夷は隠れ家を指し示して「船は二十余艘です」と言った。使いを遣わして呼んだが来なかった。阿倍臣は
【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年三月条】綵帛 ・武器・鉄などを海畔に積んで興味を引いた。
粛慎の船軍を連ね、羽を木に掛けると、それを挙げて旗とした。棹を揃え操って近くに来ると、浅い所に停めた。
一艘の船の裏から二人の老人が出てきて、積まれた綵帛などを歩きながら確認した。すると単衫 に着替え、それぞれ布一端を提げて船に乗って還った。
しばらくすると老人がまたやってきた。着替えた衫を脱ぎ置き、提げた布を置くと船に乗って去った。
阿倍臣は多くの船を遣わして呼んだ。しかし来ることなく弊賂弁島 に帰ってしまった。
しばらくしてから和を乞うてきたが聞き入れず、自ら築いた柵にこもって戦った。
この時に能登臣馬身竜は敵に殺された。
戦局が決まる前に賊は自分の妻子を殺して敗走した。
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