豊耳

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名前
  • 豐耳【日本書紀】)豊耳
キーワード
  • 紀直(きのあたい)【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政元年二月条】
生年月日
( ~ 神功皇后摂政元年2月29日)
没年月日
(神功皇后摂政元年2月1日 ~ )
出来事
  • 神功皇后摂政元年2月

    紀伊国にて神功皇后が群臣と謀って忍熊王を攻めるために、小竹宮(しののみや)に移った。
    この時、昼は夜のように暗く、多くの日が経った。時の人は「常夜(とこやみ)行く」と言った。
    皇后は豊耳に「この変事は何のせいだろう」と尋ねた。
    時に一人の老父が言うには「伝え聞くところによりますと、このような変事を阿豆那比(あずなひ)の罪というそうです」と。
    どういうことか尋ねると、「二つの社の(はふり)を共に合葬しているからでしょうか」と答えた。
    そこで村人に尋ねて、ある人が言うには「小竹の祝と天野の祝は仲が良かった。小竹の祝が病で死ぬと、天野の祝は激しく泣いて『生きているときには良い友人だった。なぜ死んで穴を同じくすることが避けられようか』と言った。そして屍の側に伏して自殺した。それで合葬した。このことでしょうか」と。
    墓を開けて見ると本当だった。
    それで更に棺を改めて、それぞれ違う所に埋めた。すると光が照って、日と夜が別れた。

    豊耳は尋ねられただけで、別人が答えている。
    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政元年二月条】