名前
  • 奈末智洗爾【日本書紀】(なまちせんに)
  • 奈末智洗爾【日本書紀】(なまちせんに)
  • 奈末智洗遲【日本書紀】(なまちせんじ, なまちせんぢ)奈末智洗遅
  • 智洗爾【日本書紀】(ちせんに)
生年月日
( ~ 622年9月10日)
没年月日
(622年8月12日 ~ )
出来事
  • 622年(8月12日 ~ 9月10日)当サイトでは日本書紀の推古天皇31年、32年、33年の記事を、それぞれ1年ずつ繰り下げた年の出来事としてます。

    新羅が大使奈末智洗爾を遣わし、任那は達率奈末智を遣わし、共に来朝した。
    そして仏像一具・金塔・舎利・大灌頂幡一具・小幡十二条を貢上した。
    即ち仏像を葛野(かどの)秦寺(はたでら)に置き、残りの舎利・金塔・灌頂幡などは全て四天王寺に納めた。

    この時に大唐の学問僧恵斉恵光、及び医者の恵日福因らは、智洗爾らに従ってやってきた。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十一年七月条】
  • (622年2月16日 ~ 623年2月4日)当サイトでは日本書紀の推古天皇31年、32年、33年の記事を、それぞれ1年ずつ繰り下げた年の出来事としてます。

    新羅が任那を討った。任那は新羅に附属した。

    推古天皇吉士磐金を派遣して詰問した際に、新羅からの調の使者として吉士磐金に副えられた。
    しかし港に集まる日本の船軍に愕然として引き返した。

    【日本書紀 巻第二十二 推古天皇三十一年是歳条】