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- 名前
- 氏(ウジ):朴井【日本書紀】(えのい, えのゐ)
- 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
- 氏(ウジ):物部【日本書紀】(もののべ)
- 姓(カバネ):連【日本書紀】(むらじ)連
- 姓(カバネ):連公【先代旧事本紀】(むらじきみ)連公
- 名:雄君【日本書紀,先代旧事本紀】(おきみ, をきみ)
- 性別
- 男性
- 生年月日
- ( ~ 天武天皇元年5月30日)
- 没年月日
- 天武天皇5年6月
- 父
物部守屋 【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
- 先祖
- 配偶者
豊媛 【先代旧事本紀 巻第五 天孫本紀】
- 子
- 称号・栄典
- 贈:
大紫 (内位)【日本書紀 巻第二十九 天武天皇五年六月条】
- 贈:
- 出来事
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天武天皇元年5月
朴井連雄君が天皇に奏上して「私は私事で一人美濃に行きました。時に朝廷は宣美濃・尾張の両国の国司に仰せ言をして『山陵を造る為、予め人夫を差し定めよ』と命じられました。しかし人々に武器を持たせています。私が思うには山陵の為ではないでしょう。必ずや有事となり、もし速やかに避けなければ危うい事がありましょう」と。
或いはある人が奏上して「
近江京 から倭京 に至るまで、所々に監視人を置いています。菟道橋の守衛に命じて。皇大弟の宮の舎人が自分達の食料を運ぶ事さえ禁じています」と。天皇は警戒して調べさせ、真実であることを知った。
詔して「私が位を譲って遁世したのは、病を治して天命を全うしようと思ったからである。しかしやむを得ずして禍を受けようとしている。どうして黙って身を亡ぼせようか」と。
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年五月是月条】 -
天武天皇元年6月24日
吉野に隠棲していた大海人皇子の決起に従う。
【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年六月甲申条】 -
天武天皇5年6月
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