弟猾
- 名前
- 弟猾【日本書紀】(おとうかし)
- 弟宇迦斯【古事記】(おとうかし)
- キーワード
宇陀水取 等之祖【古事記 中巻 神武天皇段】
- 生年月日
- ( ~ 戊午年8月2日)
- 没年月日
- (神武天皇2年2月2日 ~ )
- 出来事
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戊午年8月2日
神武天皇は兄猾と弟猾を呼んだ。この両人は
菟田県 の魁帥 魁帥。此云比鄧誤廼伽瀰。である。
しかし兄猾は来ず、弟猾のみがやって来た。軍門 を拝んで言うには「私の兄の兄猾は反抗の気持ちを持っています。天孫がおいでになると聞いて、兵を起こして襲おうとしています。皇軍の威を見て敵わないことを恐れて、兵を潜伏させています。仮の新宮を造り、御殿の中に仕掛けを設けて、おもてなしをすると見せかけて事を起こすつもりです。どうかこれを知って備えて下さい」と。
天皇は道臣命を密かに遣わして、その反抗の意思があることを調べさせた。
道臣命は殺害する意思があることを知り、激怒して大声で責めて言うには「卑しい奴め。お前が造った部屋にお前自身が入れ」と。そして剣を構え、弓を引き絞り、中へ追い詰めた。兄猾は天に背いたことで言い逃れできず、自ら仕掛けた罠を踏んで圧死した。その屍を引き出して斬った。流れる血は踝を濡らした。それでその地を名付けて菟田の血原 という。弟猾は沢山の牛肉と酒を用意して皇軍を労い饗した。
天皇はその酒肉を兵に分け与えた。そして歌を詠んだ。「
于 儾 能 多 伽 機 珥 辭 藝 和 奈 破 蘆 和 餓 末 菟 夜 辭 藝 破 佐 夜 羅 孺 伊 殊 區 波 辭 區 旎 羅 佐 夜 離 固 奈 瀰 餓 那 居 波 佐 麼 多 智 曾 麼 能 未 廼 那 鷄 句 塢 居 氣 辭 被 惠 禰 宇 破 奈 利 餓 那 居 波 佐 麼 伊 智 佐 介 幾 未 廼 於 朋 鷄 句 塢 居 氣 儾 被 惠 禰 」これを
【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年八月乙未条】来目歌 という。今、楽府 でこの歌を歌うときに、手の拡げ方の大小、声の太さ細さがあるのは、古の遺式である。-
宇陀 には兄宇迦斯・弟宇迦斯の二人がいた。そこでまず八咫烏を遣わして、「今、天つ神の御子がお出でになられる。お前たちはお仕え奉るか」と二人に尋ねた。
兄宇迦斯は鳴鏑 で使いを射て追い返した。それでその鳴鏑が落ちた地を訶夫羅前 という。
そして待ち受けて撃つために、軍を集めようとしたが集まらなかった。そこで仕えると偽って、大殿 を作り、その中に押機 踏むと圧死する罠。を作って待った。
弟宇迦斯は先に迎えに参り、拝んで言うには「我が兄兄宇迦斯は、天つ神の御子の使いを射て追い返し、待ち受けて攻めるために軍勢を集めようとしましたが集まらず、殿を作って押機を仕掛けて待っています。それでお迎えに参ってこの全てを申し上げるのです」と。
この時、道臣命・大久米命の二人が、兄宇迦斯を呼んで「お前が作った大殿の中にはお前が先に入り、仕え奉る様を明白にしろ」と罵った。そして太刀の柄を握り、矛をしごき、矢をつがえて追い込むと、自分の作った罠に打たれて死んだので、引き出して斬り散らした。それでその地を宇陀の血原 という。弟宇迦斯の献上した
大饗 は御軍に賜った。この時に歌を詠んだ。「
【古事記 中巻 神武天皇段】宇 陀 能 多 加 紀 爾 志 藝 和 那 波 留 和 賀 麻 都 夜 志 藝 波 佐 夜 良 受 伊 須 久 波 斯 久 治 良 佐 夜 流 古 那 美 賀 那 許 波 佐 婆 多 知 曾 婆 能 微 能 那 祁 久 袁 許 紀 志 斐 惠 泥 宇 波 那 理 賀 那 許 波 佐 婆 伊 知 佐 加 紀 微 能 意 富 祁 久 袁 許 紀 陀 斐 惠 泥 疊 疊 志 夜 胡 志 夜 此 者 伊 能 碁 布 曾 阿 阿 志 夜 胡 志 夜 此者嘲咲者也 」
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戊午年9月5日
弟猾は奏上して「倭国の
【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年九月戊辰条】磯城邑 に磯城の八十梟帥 がおり、また高尾張邑 (ある書では葛城邑 という)に赤銅 の八十梟帥がおります。これらは皆、天皇と戦おうとしています。私はこれを憂えております。今まさに天香山 の埴土を取って天平瓮 を作り、天社国社の神をお祭りした後、賊を撃てば打ち払いやすいでしょう」と言った。
天皇は既に夢で天神に同様の事を教えられて、これを吉兆と思っており、弟猾の言葉を聞いてますます喜んだ。
そこで椎根津彦に着古した衣服と蓑笠を着せて老父に似せた。また弟猾に箕を着せて老婆に似せた。そして勅して「お前たち二人は天香山に行き、密かに頂きの土を取ってきなさい。天業の成否はお前たちで占おう。慎重に行いなさい」と言った。
このとき賊兵は道にあふれて通ることができなかった。椎根津彦は神意をうかがって「我が君がよくこの国を平定できるならば、行く道よ、自ずから開け。そうでなければ、必ず賊は防ぐだろう」と言った。言い終ると直ちに出かけた。
賊は群がり、二人を見ると大いに笑い、「醜い老人どもだ」と言って道を開けて去った。二人は山に着くと土を取って帰った。 -
神武天皇2年2月2日
神武東征の功により、
【日本書紀 巻第三 神武天皇二年二月乙巳条】猛田邑 を賜る。
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