袁杼比売 名前 袁杼比賣【古事記】(おどひめ, をどひめ)袁杼比売 春日之袁杼比賣【古事記】(かすがのおどひめ, かすがのをどひめ)春日之袁杼比売 性別女性 父丸邇之佐都紀臣(わにのさつきのおみ)【古事記 下巻 雄略天皇段】 先祖 丸邇之佐都紀臣 unknown 配偶者雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)求婚はしているが、結婚したという直接的な記述はない。ということで不確定なので注意が必要。【古事記 下巻 雄略天皇段】 出来事 雄略天皇は丸邇之佐都紀臣の女の袁杼比売に求婚するために春日に行幸した時にその少女に道で出会った。 するとその行幸を見て丘のほとりに逃げ隠れてしまった。 そこで御歌を作った。 「袁(を)登(と)賣(め)能(の) 伊(い)加(か)久(く)流(る)袁(を)加(か)袁(を) 加(か)那(な)須(す)岐(き)母(も) 伊(い)本(ほ)知(ち)母(も)賀(が)母(も) 須(す)岐(き)婆(ば)奴(ぬ)流(る)母(も)能(の)」 それでその丘を名付けて金鉏岡(かなすきのおか)というのである。 【古事記 下巻 雄略天皇段】 雄略天皇が長谷で酒宴を開いた日、春日之袁杼比売が大御酒を献上する時に天皇が歌を詠んだ。 「美(み)那(な)曾(そ)曾(そ)久(く) 淤(お)美(み)能(の)袁(を)登(と)賣(め) 本(ほ)陀(だ)理(り)登(と)良(ら)須(す)母(も) 本(ほ)陀(だ)理(り)斗(と)理(り) 加(か)多(た)久(く)斗(と)良(ら)勢(せ) 斯(し)多(た)賀(が)多(た)久(く) 夜(や)賀(が)多(た)久(く)斗(と)良(ら)勢(せ) 本(ほ)陀(だ)理(り)斗(と)良(ら)須(す)古(こ)」 これは宇岐歌(うきうた)である。 そこで袁杼比売は歌を献じた。 「夜(や)須(す)美(み)斯(し)志(し) 和(わ)賀(が)淤(お)富(ほ)岐(き)美(み)能(の) 阿(あ)佐(さ)斗(と)爾(に)波(は) 伊(い)余(よ)理(り)陀(だ)多(た)志(し) 由(ゆ)布(ふ)斗(と)爾(に)波(は) 伊(い)余(よ)理(り)陀(だ)多(た)須(す) 和(わ)岐(き)豆(づ)岐(き)賀(が)斯(し)多(た)能(の) 伊(い)多(た)爾(に)母(も)賀(が) 阿(あ)世(せ)袁(を)」 これは志都歌(しつうた)である。 【古事記 下巻 雄略天皇段】 関連童女君(おみなきみ)同一人物か?