余自進

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名前
  • 余自進【日本書紀】(よじしん)
  • 余自信【日本書紀】(よじしん)
キーワード
  • 後裔は右京高野造(たかののみやつこ)【新撰姓氏録抄 当サイトまとめ】
生年月日
( ~ 斉明天皇6年9月5日)
没年月日
(天智天皇10年1月1日 ~ )
称号・栄典とても広〜い意味です。
  • 達率たつそつ【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年九月癸卯条】
  • 佐平さへい【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年九月癸卯条】
  • 大錦下だいきんげ【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年正月是月条】
出来事
  • 斉明天皇6年9月5日

    百済が達率割注に「闕名」とある。沙弥覚従らを遣わして奏上して「或る本に云わく、逃げ来て難を告げる」とある。「今年の七月に新羅が力に恃んで勢いを作り、隣国と親しまずに唐人を引き合わせて百済を転覆しようとしました。君臣は皆俘虜となり、残る者はほとんどおりません」と。

    西部(せいほう)恩率鬼室福信は激しく発憤して任射岐(にざき)「或る本に云わく、北の任叙利(にじょり)の山という」とある。の山に拠った。
    達率余自進は中部の久麻怒利(くのまり)の城「或る本に云わく、都都岐留(つつきる)の山という」とある。に拠った。
    それぞれ一所に陣取って離散した兵を誘い集めた。武器は前の戦いで尽きたので(つかなぎ)棒。を使って戦った。新羅の軍は破れ、百済はその武器を奪った。
    百済兵は戻って鋭く戦った。唐は敢えて入らなかった。
    福信らは遂に同国人を集めて王城を守りきった。
    国人は尊んで佐平福信佐平自進と呼び、「福信は神武の(はかりごと)を起し、既に亡んだ国を興した」と言った。

    【日本書紀 巻第二十六 斉明天皇六年九月癸卯条】
  • 天智天皇2年9月24日

    日本水軍及び佐平余自信・達率木素貴子谷那晋首憶礼福留・国民らが弖礼城に至る。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇二年九月甲戌条】
  • 天智天皇2年9月25日

    船で日本に向かう。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇二年九月甲戌明日条】
  • 天智天皇8年

    鬼室集斯ら男女七百余人と共に近江国の蒲生郡(がもうのこおり)に移住する。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇八年是歳条】
  • 天智天皇10年1月

    大錦下を授かる。

    【日本書紀 巻第二十七 天智天皇十年正月是月条】