袁祁命後の顕宗天皇が天下を治めようとする頃に、平群臣の祖で名は志毘臣が歌垣に立ち、その袁祁命が求婚しようとした美人の手を取った。
その少女は菟田首の女で名は大魚という。
袁祁命もまた歌垣に立った。
ここで志毘臣が歌を詠んだ。
「意富美夜能 袁登都波多傳 須美加多夫祁理」
このように歌い、その歌の末の句を求めた時に袁祁命が歌を詠んだ。
「意富多久美 袁遲那美許曾 須美加多夫祁禮」
志毘臣がまた歌を詠んだ。
「意富岐美能 許許呂袁由良美 淤美能古能 夜幣能斯婆加岐 伊理多多受阿理」
王子がまた歌を詠んだ。
「斯本勢能 那袁理袁美禮婆 阿蘇毘久流 志毘賀波多傳爾 都麻多弖理美由」
志毘臣はいよいよ怒って歌を詠んだ。
「意富岐美能 美古能志婆加岐 夜布士麻理 斯麻理母登本斯 岐禮牟志婆加岐 夜氣牟志婆加岐」
王子がまた歌を詠んだ。
「意布袁余志 斯毘都久阿麻余 斯賀阿禮婆 宇良胡本斯祁牟 志毘都久志毘」
このように歌って闘い、夜が明けてそれぞれ退いた。
翌朝、袁祁命は軍を興して志毘臣の家を囲んで殺した。
【古事記 下巻 清寧天皇段】