名前
  • 下部杆率汶斯干奴【日本書紀】(かほうかんそつもんしかんぬ, かほうかんそちもんしかんぬ)
  • 下部杆率汶斯于奴校異【日本書紀】(かほうかんそつもんしうぬ, かほうかんそちもんしうぬ)
生年月日
( ~ 555年2月6日)
没年月日
(555年1月9日 ~ )
出来事
  • 555年(1月9日 ~ 2月6日)

    百済が下部杆率汶斯干奴を遣わし、上表して「百済の王臣及び安羅にいる倭の諸臣達、任那諸国の旱岐らが申し上げます。思い見れば斯羅(しらき)は無道にて天皇を恐れず、(こま)と心を同じくして海北の宮家を損ない滅ぼそうとしています。臣らは共に議り、有至臣らを遣わし、兵を乞うて斯羅を征伐しようとしました。そして天皇が派遣された有至臣が軍を率いて六月に到着しました。臣らは深く喜びました。十二月九日を以って斯羅を攻めました。臣は先ず東方軍の指揮官物部莫哥武連を遣わし、その方の兵士を率いさせ、函山城を攻めさせました。有至臣が連れてきた竹斯物部莫奇委沙奇は火箭を射るのに優れ、天皇の威霊を蒙り、九日の夕には城を焼いて落しました。それで単使(ひとえつかい)馳船(ときふね)を遣わして奏上します」と。

    【日本書紀 巻第十九 欽明天皇十五年十二月条】