(651年1月27日 ~ 652年2月14日)
新羅の貢調使知万沙飡らが唐国の服を着て筑紫に着いた。朝庭は勝手に風俗を変えたことを憎み、厳しく責めて追い返した。
時に巨勢大臣が奏上して「いま新羅を討たなければ必ず後悔するでしょう。討つと言っても力は要りません。難波津から筑紫の海の裏に至るまで船で満たし、新羅を召してその罪を問えば容易でございます」と。