田道間守

名前
  • 田道間守【日本書紀】(たじまもり, たぢまもり)
  • 多遲麻毛理【古事記】(たじまもり, たぢまり)多遅麻毛理
  • 多遲摩毛理【古事記】(たじまもり, たぢまり)多遅摩毛理
キーワード
  • 三宅連(みやけのむらじ)之始祖【日本書紀 巻第六 垂仁天皇九十九年明年三月壬午条】
  • 三宅連等之祖【古事記 中巻 垂仁天皇段】
生年月日
( ~ 垂仁天皇90年2月1日)
没年月日
景行天皇元年3月12日
  • 清彦きよひこ【日本書紀 巻第六 垂仁天皇三年三月条 一云】
先祖
  1. 清彦
    1. 但馬日楢杵
      1. 但馬諸助
  2. unknown
出来事
  • 垂仁天皇90年2月1日

    垂仁天皇は田道間守を常世国(とこよのくに)に遣わして、非時香菓(ときじくのかぐのみ)香菓。此云箇倶能未。を求めた。今に(たちばな)というのがこれである。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇九十年二月庚子朔条】
    • 多遅麻毛理を常世国(とこよのくに)に遣わして、時じくの木の実原文『登岐士玖能迦玖能木實』を求めさせた。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】
  • 垂仁天皇99年7月14日日本書紀はこの日を戊午朔としているが、無理があると判断して、この日を朔日ではなく単に戊午の日と判断した。先代旧事紀の同記事では、日付を乙巳朔戊午としているものがある。当サイトでは、この月の朔日を乙巳としている。景行天皇即位前紀では、垂仁天皇99年2月(校異:二月→三月)に崩御としている。

    垂仁天皇が崩じる。

    記事は戊午朔の条ではあるが、戊午は朔では無いであろう。
    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇九十九年七月戊午朔条】
  • 景行天皇元年3月12日

    田道間守が常世国(とこよのくに)から帰還して、非時香菓(ときじくのかぐのみ)八竿八縵(やほこやかげ)を持ち帰った。
    田道間守が泣き叫んで言うには「御命令を天朝より承り、遠く遥かな地に行き、万里の浪を越えました。この常世国は神秘の国で、俗人の行ける所では御座いません。そのため往来するのに十年かかったので御座います。独り険しい道を越えて、本土に帰れるとは思いも寄らないことで御座いました。しかし聖帝の神霊に頼って帰還出来ました。今、天皇はお隠れになられ、復命することが出来ません。私が生きていても何のためになりましょう」と。
    そして天皇の陵に向い、泣き叫んで自ら死んだ。群臣はこれを聞いて皆が涙した。

    【日本書紀 巻第六 垂仁天皇九十九年明年三月壬午条】
    • 多遅摩毛理は遂にその国に着くと、その木の実を採り、(かげ)八本と矛八本を持ち帰ったが、天皇は既に崩じていた。
      そこで多遅摩毛理は縵四本と矛四本を分けて大后に献上し、縵四本と矛四本を天皇の陵の入り口に供えた。
      そしてその木の実を捧げ持つと泣き叫びんで言うには「常世国から時じくの木の実を持って参りました」と。
      遂に泣き叫びながら死んだ。
      その時じくのかくの木の実は、今の(たちばな)のことである。

      【古事記 中巻 垂仁天皇段】