苞苴担之子
- 名前
- 苞苴擔之子苞苴擔。此云珥倍毛菟。【日本書紀】(にえもつのこ, にへもつのこ)苞苴担之子
- 贄持之子【古事記】(にえもつのこ, にへもつのこ)
- 包草擔之子【先代旧事本紀】(にえもつのこ, にへもつのこ)包草担之子
- キーワード
阿太養鸕部 始祖【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年八月乙未条】阿陀之鵜飼 之祖【古事記 中巻 神武天皇段】
- 生年月日
- ( ~ 戊午年8月2日)
- 没年月日
- (戊午年8月2日 ~ )
- 出来事
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戊午年8月2日
神武天皇が吉野に巡幸した時、梁を設けて魚を取る者がいた。天皇が「お前は何者だ」と問うと、「私は苞苴担之子です」と答えた。
【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年八月乙未条】-
吉野河の河尻に着いた時、
【古事記 中巻 神武天皇段】筌 を作って魚を取る人がいた。天つ神の御子が「お前は誰か」と問うと、「私は国神で、名は贄持之子といいます」と答えた。
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