阿閉事代 名前 氏(ウジ):阿閇【日本書紀】(あえ, あへ)阿閉 姓(カバネ):臣【日本書紀】(おみ) 名:事代【日本書紀】(ことしろ) 生年月日( ~ 顕宗天皇3年2月1日) 没年月日(顕宗天皇3年4月5日 ~ ) 出来事 顕宗天皇3年2月1日 阿閉臣事代が命を受けて任那に使いを出した。 この時に月の神が人に神懸って言うには「我が祖高皇産霊は天地を創造した功があります。民地を我が月の神に奉りなさい。もし求めのままに献上すれば、慶福に当たるであろう」と。 事代は京(みやこ)に還ってこれを報告した。 歌荒樔田(うたあらすだ)を奉った。歌荒樔田は山背国(やましろのくに)の葛野郡(かどののこおり)にある。 壱伎県主(いきのあがたぬし)の先祖の押見宿禰が祀り侍った。 【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇三年二月丁巳朔条】 顕宗天皇3年4月5日 日の神が人に神懸って阿閉臣事代に「磐余(いわれ)の田を我が祖高皇産霊に献上しなさい」と言った。 事代は奏上して、神の求めのままに田十四町を献上した。 対馬下県直が祀り侍った。 【日本書紀 巻第十五 顕宗天皇三年四月庚申条】