安閑天皇元年閏12月
武蔵国造笠原直使主と同族の小杵が国造の地位を争い、年を経ても決め難かった。 小杵は性質が険しくて逆らうことがあり、高慢で従順ではなかった。 密かに上毛野君小熊に援助を求めて、使主殺害を謀った。 使主は覚って逃げ出し、京(みやこ)に参り出て状況を述べた。 朝廷は使主を国造と裁断して小杵を誅した。 国造使主は畏まりながらも喜び勇んだ。 謹んで国家の為に横渟(よこぬ)・橘花(たちばな)・多氷(おおひ)・倉樔(くらす)の四所に屯倉を置いた。