倭手彦 名前 氏(ウジ):倭【日本書紀】(やまと) 名:手彥【日本書紀】(てひこ)手彦 倭國造手彥【日本書紀】(やまとのくにのみやつこてひこ)倭国造手彦 生年月日( ~ 欽明天皇23年7月29日) 没年月日(欽明天皇23年7月1日 ~ ) 称号・栄典とても広〜い意味です。倭国造(やまとのくにのみやつこ)【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二十三年七月是月条】 出来事 欽明天皇23年7月 河辺瓊缶に従い新羅と戦うが、軍事を知らない河辺瓊缶が投降した新羅軍と同じように白旗を挙げて進み、新羅の逆襲を許してしまった。 倭国造手彦は救い難いことを知り、軍を棄てて遁逃した。 新羅の闘将は手に鉤戟(ほこ)先の曲がった戟(げき)。を持ち、城の堀まで追って戟で撃った。 手彦は駿馬に乗って堀を飛び越え、僅かに難を免れた。 闘将は堀の前で歎いて「久須尼自利(くすにじり)「これは新羅語だが未詳である」とある。」と言った。 【日本書紀 巻第十九 欽明天皇二十三年七月是月条】