- 名前
- 路子工【日本書紀】(みちのこのたくみ)
- 芝耆摩呂【日本書紀】(しきまろ)
- 生年月日
- ( ~ 推古天皇20年12月30日)
- 没年月日
- (推古天皇20年1月1日 ~ )
- 出来事
-
推古天皇20年
教化に惹かれて百済国から来日する者があった。
【日本書紀 巻第二十二 推古天皇二十年是歳条】
その顔・体は斑白 や白癩 があった。
その異様な人を憎み、海中の島に棄て置いた。
しかしその人が言うには「もし私の斑の皮を憎むのであれば、白斑の牛馬を国中で飼えなくなります。私にはいささかな才があります。よく山岳の形を築けます。もし私を留めて用いれば国に有利となります。どうして無駄だと海の島に棄てるのでしょうか」と。
その言葉を聞いて棄てるのをやめた。
そして須弥山 の形及び呉橋 を御所の庭に築くことを命じた。
時の人はその人を名付けて路子工と呼んだ。またの名は芝耆摩呂。
-