難波赤目子

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名前
  • 氏(ウジ):難波【日本書紀】(なにわ, なには)難波
  • 姓(カバネ):吉士【日本書紀】し)
  • 名:赤目子【日本書紀】(あか
生年月日
( ~ 雄略天皇8年2月30日)
没年月日
(雄略天皇8年2月1日 ~ )
出来事
  • 雄略天皇8年2月

    新羅が人を遣わして任那王に言うには「高麗王が我が国を討とうとしている。いまや吊り下げられた旗のようである。積み重ねた卵よりも危うい。命の長短も計ることができない。伏して救いを日本府の将軍たちにお願い致します」と。

    任那王は膳臣斑鳩吉備臣小梨・難波吉士赤目子を送って新羅を救援した。
    膳臣らはまだ途中で留まっていたが、高麗の諸将は膳臣らと戦ってもいないのに皆が怖れた。
    膳臣らは兵を労い、急襲する備えをさせて進軍した。

    高麗と対峙して十日あまり、夜に地下道を作り、輜重を送って奇兵を備えた。
    明け方、高麗は膳臣らが逃げたと思って軍勢を出して追った。
    そこへ奇兵を放って歩兵・騎兵で挟み撃ちにして大いに破った。
    高麗・新羅の二国の怨みは、このときに始まった。
    膳臣らが新羅に言うには「お前の国は至って弱いのに、至って強い国と当たった。日本軍が救わなければ必ず乗っ取られていた。人の地になるということは、このようなことが殆どである。今後は天朝に背いてはならない」と。

    【日本書紀 巻第十四 雄略天皇八年二月条】