事代主神

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名前
  • 事代主神【日本書紀,古事記】ぬし)事代主神
  • 事代主【日本書紀】ぬし)
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  • 事代主尊【日本書紀】ぬし
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  • 八重事代主神【古事記】(やえことしろぬしのかみ, やぬし)八重事代主神
  • 都味齒八重事代主神【先代旧事本紀】(つみはやえことしろぬしのかみ, つはやぬし)都味歯八重事代主神
  • 天事代主命【新撰姓氏録抄】(あぬし, あまぬし
  • 天乃八重事代主神【新撰姓氏録抄】(あめのやえことしろぬしのかみ, あぬし, あまのやえことしろぬしのかみ, あまぬし)天乃八重事代主神
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キーワード
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性別
男神【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 庚申年八月戊辰条】
  • 大国主神おおくにぬしのかみ【日本書紀 巻第二 神代下第九段, 古事記 上巻, 先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • 神屋楯比売命かむやたてひめのみこと【古事記 上巻】
    • 高津姫神たかつひめのかみ【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
先祖
  1. 大国主神
    1. 天之冬衣神
      1. 淤美豆奴神
      2. 布帝耳神
    2. 刺国若比売
      1. 刺国大神
  2. 神屋楯比売命
配偶者
  • 玉櫛媛たまくしひめ【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 庚申年八月戊辰条】
  • 鴨王かものきみ【日本書紀 巻第四 懿徳天皇即位前紀】
  • 媛蹈鞴五十鈴媛命ひめたたらいすずひめのみこと【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 庚申年八月戊辰条】【母:玉櫛媛たまくしひめ
  • 五十鈴依媛命いすずよりひめのみこと【日本書紀 巻第四 安寧天皇即位前紀】
出来事
  • 事代主神は出雲国の三穂(みほ)の崎で釣りを楽しんでいた。あるいは、鳥射ちを楽しんでいたともいう。
    そこに高皇産霊尊の勅を受けた大己貴神が、稲背脛熊野諸手船(くまののもろたふね)、またの名は天鴿船(あめのはとぶね)に乗せて返答の言葉を事代主神に尋ねた。
    事代主神は使者に「天神が仰せになるのです。父はお去りになるのが宜しいでしょう。私もまた違えることはしません」と言った。
    そして海中に八重蒼柴籬(やえのあおふしかき)を造り、船の側板を渡って去った。

    【日本書紀 巻第二 神代下第九段】
    • 三津の碕にて鳥を射て遊んでいるときに、父の大己貴神の使いが来て尋ねられたことに対し、「天神のお求めになる所を、どうして奉らぬことが出来ましょう」と答えた。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第一】
    • 経津主神岐神を先導とし、巡り歩いて平定した。逆らう者がいれば斬り殺した。帰順する者には褒美を与えた。
      この時帰順した首長は、大物主神と事代主神である。

      【日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二】
    • 父の大国主神に「畏まりました。この国は天神の御子に奉りましょう」と言って、その船を踏み傾け、天の逆手を打って青柴垣に変えて隠れた。

      【古事記 上巻】
    • 天照大神高皇産霊神は、天津彦尊豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)の主として降らせたいと思い、経津主神武甕槌神を遣わして、平定させた。
      大己貴神及びその子である事代主神は、共に譲り渡し、国を平らげた矛を二神に授け、「私はこの矛で、遂に事を成すことができた。天孫がもしこの矛を用いて国を治めれば、必ずや平安となるでしょう。今、私は冥界にこもりましょう」と言った。言い終わると遂に去っていった。

      【古語拾遺 神代段】
    • 倭国の高市郡(たけちのこおり)高市社(たけちのやしろ)に鎮座している。または甘南備(かんなび)飛鳥社(あすかのやしろ)という。

      【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • 三島溝橛耳神の女の玉櫛媛を娶り、媛蹈鞴五十鈴媛命が生まれる。

    【日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 庚申年八月戊辰条】
    • 事代主神は八尋熊鰐(やひろわに)になって、三島溝樴姫(あるいは玉櫛姫という)の所へ通ったという。そして生まれた子は姫蹈鞴五十鈴姫命。これは神日本磐余彦火火出見天皇神武天皇の后である。

      【日本書紀 巻第一 神代上第八段 一書第六】
    • 八尋熊鰐(やひろのくまわに)となり、三島溝杭の娘の活玉依姫に通い、一男一女二女の誤り。を生んだ。
      子の天日方奇日方命。この命は橿原朝(かしはらのみかど)の御世神武天皇に勅を受け、申食国政大夫となって仕えた。
      妹の姫蹈韛五十鈴命。この命は葛城高丘朝(かつらきのたかおかのみかど)綏靖天皇に立てて皇后とし、一児が誕生した。
      次に妹の五十鈴依姫命。この命は葛城高丘朝(かつらきのたかおかのみかど)綏靖天皇に立てて皇后とし、一児が誕生した。

      巻末にある系譜から。ここではミゾクイの娘のイクタマヨリヒメとなっているが、同巻別記事ではオオスエツミの娘のイクタマヨリヒメがオオナムジの妻となっていて、巻第七神武天皇段ではミゾクイの娘のタマクシヒメがコトシロノヌシの妻となってヒメタタライスズヒメを産んでいるので、この記事ではイクタマヨリヒメとタマクシヒメを誤ったか。ちなみに旧事本紀では、この天日方奇日方命の系譜からオオタタネコに繋がる。
      【先代旧事本紀 巻第四 地祇本紀】
  • 神武天皇は皇天二組の詔に従って神籬(ひもろき)を建てた。
    高皇産霊神産霊魂留産霊生産霊足産霊大宮売神・事代主神・御膳神。以上の神は、今は御巫(みかんなぎ)が斎い奉っている。

    【古語拾遺 神武天皇段】
  • 神武天皇元年1月1日

    娘の媛蹈鞴五十鈴媛命神武天皇の皇后となる。

    【日本書紀 巻第三 神武天皇元年正月庚辰朔条】
  • 綏靖天皇2年1月

    娘の五十鈴依媛命綏靖天皇の皇后となる。

    【日本書紀 巻第四 綏靖天皇二年正月条】
  • 仲哀天皇9年3月1日

    神功皇后が、仲哀天皇に教えた神の名を伺った際に、神が答えて「天に事代、虚に事代、玉籤入彦厳之事代神がいる」と。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政前紀 仲哀天皇九年三月壬申朔条】
  • 神功皇后摂政元年2月

    神功皇后難波(なにわ)に向かう途中、船は海中で廻って進めなくなったので、帰って務古水門(むこのみなと)で占った。
    事代主尊が教えて言うには「我が御心を長田国(ながたのくに)に祀りなさい」と。
    そこで長媛に祭らせた。

    【日本書紀 巻第九 神功皇后摂政元年二月条】
  • 天武天皇元年7月7日

    高市郡(たけちのこおり)の大領高市県主許梅に神懸って言うには「吾は高市社(たけちのやしろ)に居る、名は事代主神である。また身狭社(むさのやしろ)に居る、名は生雷神である」と。
    そして神意を表して言うには「神日本磐余彦天皇の陵に馬や様々な武器を奉れ」と。
    また言うには「吾は皇御孫命(すめみまのみこと)大海人皇子を指す。の前後に立って、不破(ふわ)までお送り奉って帰った。今もまた官軍の中に立って守護している」と。
    また言うには「西道から軍勢が来る。慎しむように」と。
    言い終ると醒めた。

    それで急いで許梅を遣わし、御陵を祭り拝ませて馬や武器を奉った。
    また(みてぐら)を捧げて高市・身狭の二社の神を礼い祭った。

    その後、壱伎史韓国が大坂から来襲した。時の人は「二社の神の教えられた言葉はまさにこれであった」と言った。

    また村屋神(はふり)に神懸って「いま吾が社の中道から軍勢が来る。社の中道を防げ」と。
    それで幾日も経たずに廬井造鯨の軍が中道から来襲した。時の人は「神の教えられた言葉はこれであった」と言った。

    戦いが終った後壬申の乱終結後。、将軍たちはこの三神の教えた言葉を奏上した。
    勅して三神の位階。を上げて進めて祀った。

    【日本書紀 巻第二十八 天武天皇元年七月壬子条】
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